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仕事と競技の両立に突然のコロナ禍。様々な困難を乗り越えデフリンピックでメダルを獲得できたのは、「スタートラインに立ちたい」という想いがあったから。

株式会社マイナビ

「デフリンピック」をご存じでしょうか。
デフリンピックとは、聴覚に障がいを持つ人たちのオリンピックとして4年に1度開催される国際大会です。直近では、2022年の春に第24回夏季デフリンピック大会がブラジルのカシアス・ド・スル市で開催され、日本選手団は金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル10個という大会参加史上最多のメダルを獲得しました。

このデフリンピックにマイナビグループのひとつ、マイナビパートナーズに所属する星泰雅(ほし・たいが)が出場し、水泳種目で見事銀メダル2つを獲得しました。

しかしメダル獲得までには、環境の変化やコロナ禍による練習機会の減少など、様々な困難があり、時には「競技を辞めたい」と思うこともあったと語ります。

今回の「マイナビのこばなし」では、仕事と競技を両立させ、自分の目指す場所へ向かうために努力を重ねた星のインタビューをご紹介します。

プロフィール

株式会社マイナビパートナーズ パートナー雇用開発部 パートナー雇用開発2課 星 泰雅(ほし・たいが)
2021年株式会社マイナビパートナーズ入社。仕事と水泳競技を両立し、2022年に第24回夏季デフリンピック競技大会ブラジルに出場。4×100mフリーリレーと4×100mメドレーリレーで銀メダルを獲得。個人でも100m平泳ぎで7位入賞。マイナビパートナーズではデータ入力等の業務を担当し、オールラウンダーとして活躍。「仲間とのコミュニケーション」「最後まで諦めない心」は、仕事・競技どちらにおいても大切にしている。

水泳との出会いとデフリンピックを目指すきっかけ

小学校に上がる前、体が病弱だったため、健康の為に市民プールで泳いだことが水泳を始めたきっかけです。自分の耳は先天性で聞こえず、加えてもともと喘息持ちだったんです。身体が丈夫になってほしいと思った母が勧めてくれました。始めた当初は、競技として取り組むというよりは、水泳の楽しさに夢中になっていました。

競技として取り組み始めたのは高校生になってから。中学の進路選択のとき、自分の水泳の実力を本気で練習したらどこまで伸ばすことができるか挑戦したいと思い、宮城県内屈指の強豪、東北高校に進学。3年間、強豪校ならではの厳しい練習に打ち込みました。

練習を続けていくうちに、部活の顧問の先生に「聴覚障がい者向けの国際大会はあるのか?」という質問をされて、デフリンピックについて話したんです。そしたら、「一緒に目指していこう」と言ってくれて。デフリンピック出場を意識しはじめたのはそれがきっかけですね。

デフリンピックの存在は小学校の頃から知っていて、当時の担任の先生が「聴覚障がい者向けのオリンピックがあるよ」と言ってパンフレットをくれたんです。小学校のときはデフリンピックに出るなんて考えていなかったので、高校に入って顧問の先生に「目指そう」と言ってもらえたことは、自分の中でもすごく印象的なこととして覚えています。今考えると、小学校のときの担任の先生と高校の部活の顧問の先生と出会えて本当によかったと思います。

高校2年生の夏、当時の自分の専門種目である自由形でアジア大会の標準タイムを達成できて、国際大会に出れるかもと思ったときがあったんです。ただ、それ以外の条件を満たせておらず、日本代表として出場することができなかった。そのときはじめて、「日の丸を背負いたかった」と思ったんです。そのときの後悔があって、「デフリンピックに日本代表として絶対出てやるんだ」と強く思ったことを覚えています。

はじめて出場したのは、2017年に開催されたトルコデフリンピック。当時は大学1年生で、出場が決まったときはすごく嬉しかったです。水泳を勧めてくれた母親もとても喜んでくれました。

環境の変化とコロナ禍。支えてくれたのは家族や仲間の応援だった

大会で素晴らしい泳ぎを見せる星さん

今回のブラジル大会は、私にとって2回目のデフリンピック出場になります。今大会は新型コロナウィルスの影響で1年延期したため、開催までの間に辛かったことの方が多く、一時は水泳から離れたいなと思うこともありました。でも、仲間や家族達に励まされ、競技を続けられたおかげで、リレー2種目でメダルを獲得することができました。

「辛かったことが多い」と話しましたが、競技を続ける中で、一番影響が大きかったのは学生から社会人への環境の変化。私は今、社会人2年目なのですが、就職活動をしていた当時の軸は“水泳の拠点を東京にもつ”こと。大学までは地元の宮城を拠点にしていたのですが、働きながらも水泳を続けることを考えると、合宿や大会などのイベントに参加しやすい東京で就職したいという気持ちが強くて。競技と仕事を両立したいという気持ちを汲んでくれた、マイナビパートナーズとご縁があって入社に至りました。でもやっぱり、働いて水泳も両立するのってすごく大変

はじめての社会人生活でゼロから仕事を覚えなくてはいけないし、加えて水泳の練習場所を探すのにも苦労しました。宮城県から拠点を変えたので練習場所もなく、かつ、コロナ禍で選手を受け入れてくれるスイミングクラブもなくて、1年以上思うような練習ができないという日々が続いたんです。そのときは複合施設にあるプールで練習したときもありました。毎日仕事をして、土日は気になったクラブに自分の競技結果を売り込みしに行って、断られたら次を見つけて……。

さらに、コロナ禍で水泳に対するモチベーションが落ちてしまったときもありました。練習場所もないし、大会も中止になってしまったり、開催されても無観客だったり応援がなかったり。応援が自分のモチベーションになっていた部分もあったので、なおさら落ち込みました。自分の頑張りを誰にも見てもらえない気がして。コロナ禍になる前の方が楽しかったと何度も思いました。

そのときは、「楽になりたい」「現実逃避したい」といったネガティブな気持ちになることが多かったです。でも、母親をはじめとした家族、同じデフ水泳の選手達が、「あきらめないでがんばろう」と言ってくれて、自分を奮い立たせることができました。

今年の2月になってから、受け入れてくれる水泳クラブを見つけられて。それが今もお世話になっているスイミングクラブです。「障がいがあってもなくても選手として受け入れるよ」と言ってくださり、今まで競技に打ち込んできたことは無駄じゃなかったとようやく実感できました。

このような経緯もあって、今大会で獲得できたメダルは今まで獲得してきたどのメダルよりも重く、嬉しかったです。家族や仲間からの励ましの言葉がなかったら、今大会でメダルは獲得できなかったのではないかと思います。

スタートラインとしてのデフリンピック

大会会場でチームメンバーとメダルを手にしての1枚

私にとってデフリンピックはスタートラインに立てる場だと思っているんです。小学校の頃には名前しか知らなかったデフリンピックに、高校生の時に「もしかしたら出場できるかもしれない」と思って、それからひたすらに頑張り、夢だったデフリンピックに出場することができました。

でもデフリンピック出場が決まったことがゴールではなくて、夢だったスタートラインにやっと立てたんだなと思いました。出場することに満足してしまったら面白くない。せっかくなら何か新しい目標を立てて、新しくスタートを切りたいという気持ちを持っていたからこそ、どんな困難な状況でもくじけずにいられたんだと思います。

ブラジル大会はコロナ禍での開催となりましたが、現地の人たちが応援しに来てくれて嬉しかったです。すごく応援されているというか、大会ならではの雰囲気を感じたのが久しぶりだったので。今回は楽しんで泳ごう、変に自分にプレッシャーをかけるのはやめようと思って、なるべくリラックスして前向きでいようと考えていました。

今大会では水泳競技のキャプテンに任命されていたので、自分が前向きでいれば周りも一緒にひっぱられるかなと思って。自分もそうなんですが、「やりきった」という感覚をみんなに持ってほしかったし、「なんでこうしなかったんだろう」といって後悔してもじもじしてしまうのは嫌だったんです。

水泳種目の初日の競技は「4×100mフリーリレー」で、アンカーを任されていました。3泳者までは1位と同着で引き継ぎ、浮き上がりで差をつけられてしまいましたが、3位のチームに抜かされないように逃げ切ることができ、結果として銀メダルを獲得。キャプテンとしての意地を見せることができたかなと思います。

また、個人種目で100m平泳ぎでも決勝に残ることができたんですが、個人種目で決勝に残るのは今回が初めてでした。5年前のトルコデフリンピックでは他の海外選手のレベルの高さに圧倒されて、自分の未熟さもあって、悔いの残る結果でした。

今回、初めて決勝の舞台で今まで味わったことのない気持ちになり、心から水泳が楽しいと思えたんです。これまで自己ベストを更新した時などに「嬉しい!」と達成感を味わったことはありましたが、今回のデフリンピックでは改めて「やっぱり水泳って楽しいな」と感じたり、心から「辞めなくてよかったな」と練習の日々を振り返ったりと、特別な感情を味わいながら泳ぐことができました。

環境の変化があったりコロナ禍での不安やネガティブな気持ちもあったんですけど、改めてデフリンピックというスタートラインに立つことができて、そこでキャプテンも任されて、前向きに全力でやり切りたいという気持ちがあったから、楽しいという気持ちで泳ぎ切ることができたんだと思います。

次のデフリンピックでは「集大成」を見せたい

競技を通して実現していきたい夢は、2025年のデフリンピックに絶対に出場するということ。まだ開催場所は未定ではありますが、もし2025年のデフリンピックに出場した際は、自分の泳ぎを見てもらって水泳人生に幕を閉じたいと思っています。そのときは、お世話になった人や会社のメンバーにも見てもらいたいですね。

というのも、自分が辞めるときは「こうありたい」という理想があるんです。次のデフリンピックは自分が26歳の時。高校のときにデフリンピックを目指してから10年目の集大成ですし、気持ちよく終われればいいな、と。

「辞めるのはもったいない」と言われることもありますが、今のところはこの目標を達成することが明確に実現したい未来なので、それを叶えたいですね。これまでも様々な目標を実際に叶えることができたし、言ってしまったからには後には引けないところもありますので(笑)。みんなの前で目標を言って、みんなが目標を知っていてくれることに意味があるんじゃないかなと思います。「できなかったらどうしよう」なんかは考えないで、失敗を恐れずにやっていきたいですね。

私自身、競技を続けるうえで大切にしている信条が「努力は裏切らない」です。高校生から本格的に競技を始めて、最初は競技レベルで泳ぐことはできなかったのですが、練習や水泳に打ち込んでいる期間は誰よりも頑張ってきたと言えます。その結果、自己ベストを更新し続けることができ、デフリンピックに出場し、メダル獲得まで成長しました。

くじけそうなこともありますが、大切な家族や仲間に報いるために、今後も努力し続けていたいですし、その結果も残していきたいと思います。


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