Vリーグでプレーしていた元バレーボール選手が巡り合った新たな夢、“WEBエンジニア”。
「こんなに熱中したのはバレーボール以来です!」と、目を輝かせるのはマイナビでWEBエンジニアとして働く、貝原龍樹(かいはら りゅうじゅ)さん。
「1日中パソコンに向かってコードを書いていても、まったく苦ではありません。むしろ楽しくて時間を忘れているだけです」と話す貝原さんは、小中高大とバレーボールで全国大会に出場し、最終的にはVリーグでもプレーをした生粋のバレーボール選手。
幼少期からバレーボールに打ち込み、「将来はバレーボールでご飯を食べていくんだ」と決めていた貝原さんが、なぜマイナビでWEBエンジニアとして働いているのか。ここまでの苦労や挫折、そしていまWEBエンジニアとして叶えたい目標について、お話しいただきました。
【プロフィール】
全国制覇を経験し、バレーボールでご飯を食べていこうと思っていました。
母がもともとバレーボールをやっていたということもありますが、小学校4年生のときに、クラスメイトに誘われて始めました。5年生のときには控え選手でしたが全国優勝も経験し「この景色をもう一度見たい」と思い、バレーボールを続けていくことを決意しました。
6年生でも全国ベスト16と結果を残し、当時全国大会を2連覇していた中学校から推薦をもらい進学しました。中学1年生と2年生のときは全国大会優勝。3年生でも準優勝するなど、中学時代は充実したバレーボール生活を送っていました。
高校に進学してからも高3のときにインターハイ2位、春高3位と優勝は逃しましたが、センターコート(※1)にも立つことができて、バレーボール漬けの充実した日々を過ごしました。
高校時代にも挫折や苦悩はありましたが、大きな挫折を経験したのは大学入学後です。同じポジションの同級生に世代別の日本代表に選ばれるほどの選手が入学してきたため、自分は入学当初からずっと控え選手でした。「このままでは絶対にレギュラーになれない」と思い、とにかく練習に打ち込みました。休みの日もトレーニングを重ね、試合に出ることだけを考えて毎日毎日必死に練習をしました。
その結果、無理をしすぎて大学4年生のときに1年間ジャンプ禁止のドクターストップ。実力的にはVリーグ(※2)のチームからオファーが来るまでに成長をしていましたが、ケガもありバレーボールから離れることにしました。当時はバレーボールのことだけを考えて毎日過ごしていたので、「この先何を目指して生きていけばいいんだろう」と完全に燃え尽きていました。
(※1)一回戦から準々決勝までは体育館にコートを複数つくり試合が同時に進みます。準決勝からはメインアリーナ中央のセンターコート1面だけで試合を行うため注目度が高く、バレーボール選手の”憧れの場所”とされています。
(※2)バレーボールの日本国内最上位リーグ
なにがやりたいか分からない。なにをすべきか分からない。
いわば消化不良でバレーボールから離れましたが、時間は待ってくれません。バレーボール部在籍中は当然就活もできず、引退後の大学4年生のタイミングでいきなり「就活」というものに直面しました。「バレーボールしかしてこなかった自分はどの仕事が向いているんだろう」「そもそも自分ってバレーボール以外になにをやりたいんだろう」「いま、なにから動き出せばいいんだろう」と、不安でいっぱいだったことをおぼえています。
結果的に卒業後は食品会社に営業職として入社するのですが、その理由も「体育会だったから営業だろう!」という程度の理由で、あまり考えず就職しました。自分はケガがきっかけでバレーボールから離れましたが、スポーツを仕事として続けられる人はごく一部で、多くの人がいずれはスポーツから離れます。そうなったとき、私と同じように感じる人は多いのだろうなと思いました。
時間を忘れるほどの熱中。「プログラミング」との出会い
食品会社に就職後のある日、知り合いから「ケガの調子が良くなっているならVリーグで一緒にプレーしないか?」と声をかけていただきました。ちょうどケガの調子が良くなっていたので、最後にもう一度バレーボールと向き合ってみることにしました。
Vリーグでプレーしていた日々は、平日は9時~18時まで仕事をして、週2日くらい練習をする。土日も練習や試合という毎日でした。仕事をしてからバレーボールをする日々は体力的にハードでしたが、「Vリーグでプレーができている!」という高揚感もあり、そこまで大変には感じませんでした。そして、それと同時にこのころから「バレーと同じくらい熱中できることを見つけたい」と思って日々を過ごしていました。それが見つかれば後悔なく引退できるなと。
消化不良で離れていたバレーを再開し、心の踏ん切りがついたことで改めて自分と向き合う時間が増えました。自分が学生時代に好きだったことを思い出したり、何をしている時に楽しいかと色々な選択肢を考える中でふと、「学生時代数学が好きだったな」と思い出しました。公式を応用したりしながら、1つの答えに向かって進んでいくところが好きだったんです。そこから「なにか同じような視点で仕事ができないかな?」と考える中で、プログラミングと出会いました。はじめはYouTubeなどで自主的に学び始めましたが、みるみるプログラミングにのめり込んでいき、スクールにも通い始めました。
食品会社とバレーボール選手とプログラミングスクールを並行していましたが、プログラミングの実力がある程度ついたタイミングで、IT企業へ転職をし本格的にWEBエンジニアの道に進んでいくことに決めました。
よく、「ゼロからプログラミングを学ぶのは大変じゃなかった?」と聞かれるのですが、大変だった記憶はほとんどなく、楽しい思い出ばかりです。どんな感じで楽しいかというと、パズルをつくる感じ?といえば伝わりますかね。「これとあれを組み合わせるとこう動くんだ」みたいな感じで、真っ白なPCの画面にコードを打つことで、画面が動き出すということにとにかく驚きと楽しさを感じていました。
そしてこのころ、バレーボールへの情熱がプログラミングへの情熱に変わったことを実感し、13年のバレーボール生活から引退することを決意しました。
いま、マイナビで働いていること
IT企業で2年ほど経験を積んだのち、「もっと大きな会社でチャレンジしたい」と思い、マイナビへ入社しました。マイナビでは現在WEBエンジニアとして社内向けの議事録サービスの開発をしたり、『マイナビアスリートキャリア』というアスリート向けの就業支援サービスのサイト運用をしたりしています。
社内向けのサービスはユーザーが社員なので、自分の作ったものの感想をリアルに見たり聞いたりできるのでやりがいを感じます。また『マイナビアスリートキャリア』では、エンジニアという立場からアスリートのセカンドキャリアに携われることが心からうれしいです。
マイナビにはWEBエンジニアとして活躍する社員が多くいますが、入社する人たちは学生時代からアプリを開発していたり、自身と比べてレベルの高い人が多く、日々刺激を受けています。負けないように、レベルを高めていくために、福利厚生サービスの動画学習サイトなどで、エンジニアとしての技術を日々学んでいます。そういったサポートが受けられることも含めて、マイナビに転職して良かったなと思っています。
バレーボールの貝原からWEBエンジニアの貝原へ。新たな目標。
プロとしてバレーボールでご飯を食べていく夢は叶いませんでしたが、WEBエンジニアの”プロフェッショナル”として社内外から頼りにされる存在に成長してくことが次の夢です。昔からなにごとも「本気でやればなんとかなる!」と思っているので、人の何倍もタスクをこなして、成果を出してやろう!と思っています。
当時のバレーボールの仲間はまだ現役でプレーしているメンバーも多く、引退した人は学校の先生や警察官など公務員になる人が多いです。自分のようにエンジニアになった人は周りにはいません。最初はそれが不安でしたが、「未経験からでもこういうキャリアも目指せるんだよ」という一つの道標を、後輩や今後スポーツから引退をする人たちに示せていればうれしいです。
いまは「元バレーボール選手の貝原」と言われることが多いですが、よりスキルを高めて「WEBエンジニアの貝原」としてマイナビ社員やマイナビのユーザーのためになるような仕事に務めていければと思います。