見出し画像

キャリア的な目標は定めず、好奇心に従って生きる。 クリエイター藤原麻里菜の“失敗を失敗で終わらせない”逆転の思考法<木曜日の相談室 vol.23>

目まぐるしく変化する毎日、慌ただしく駆け抜けた今週もあと少し。そんな木曜日の1日に、ほんの少しだけ気持ちが軽くなれるお部屋、「木曜日の相談室」

第13回目のゲストは、コンテンツクリエイターで文筆家の藤原麻里菜さん。「いま、わたしが相談したいこと」をテーマに相談を募集し、藤原さんに話をお聞きしました。


藤原麻里菜(ふじわら・まりな)さん プロフィール
1993年生まれ。コンテンツクリエイター、文筆家。頭の中に浮かんだ不必要な物を何とか作り上げる「無駄づくり」を主な活動とし、YouTubeを中心にコンテンツを広げている。2013年からYouTubeチャンネル「無駄づくり」を開始。現在に至るまで200個以上の不必要なものを作る。2018年、国外での初個展「無用發明展- 無中生有的沒有用部屋in台北」を開催。25000人以上の来場者を記録した。「総務省 異能vation 破壊的な挑戦者部門 2019年度」採択。Forbes Japan「世界を変える30歳未満の30人」 2021年入選。青年版国民栄誉賞TOYP会頭特別賞受賞。

相談①「就職先をどうするかまだ決められません」

まっきゃんりーさん(24歳、女性)
大学院まで進んだのに、就職先をどうするかまだ決められません。そうこうしているうちに就活が始まるし、自分が本来やるべき大学院での研究もぜんぜん手についていません。昔は進学校に通っていただけに、今の全部が中途半端な状態と比較してしまい落ち込んでしまいます。もう、自分の性格なので仕方がないのですが、また失敗体験を積んでしまうのかと思うと少し悲しくなります。藤原さんは目標を定められない人に、なんとアドバイスしますか?
P.S 藤原さんがご紹介されていた神田橋先生の語録を読んで、号泣しました。ふらふらと心ゆくままに過ごしていいという、ずっと肯定して欲しかったことを言葉にされたので、今までの辛さと相まって泣いてしまいました。

本当の意味での「失敗」は、あくまでレアケース

まっきゃんりーさんは、私と似ている気がします。無駄なものが好きなのに、自分のことになると無駄が許せなくなっちゃうんですよね。私もふんわり生きているように見られるけど、実は中途半端な状態が苦手です。ゆるい状態にいると、バリバリやっていた頃と比較して「自分、全然ダメだな」ってすごく落ち込んじゃいます。

でも、就職先を決めることって人生で一番悩むところなので、悩むのは当然だし、研究が手につかないのも当然だと思います。

「また失敗体験を積んでしまうのかと思うと少し悲しくなります」ということですが、本当の失敗というのは、実はレアケースでしかないんですよね。すごく月並な言葉で言うと、「失敗から学ぶこともある」ということですね。まっきゃんりーさんが何を失敗としているかはわかりませんが、私のやっている無駄づくりも失敗から始まっているんですよ

私はもともとピタゴラスイッチを作ろうとして、時間をかけて取り組んだのですが、思ったような形になりませんでした。でも、そのまま失敗で終わらせないために「無駄づくり」という言葉を作ることで、物事の見方を変えたんです。

私も挫折は経験していますが、失敗したと思うことはほとんどありません。「お昼ごはん選びに失敗したな。やっぱりカツ丼にしておけばよかったな」といった程度の失敗はありますが、何かにチャレンジして失敗したと思ったことはありません。ただ、傍から見たら失敗しているように見えていたんだと思いますけどね。

私は高校卒業後、芸人になろうと思って吉本興業のお笑い芸人養成所(NSC)に通いました。でも、自分に芸人は合っていないと気づいてからは、芸人の道を諦め、無駄づくりを始めたんです。

最初は挫折感もありましたけど、自分に芸人が向いていないことがわかったのは収穫だったし、今になってみれば、NSCでの経験も失敗ではなく、面白い体験だったと思います。

「目標はあまり定めないほうがいい」と考えるワケ

「藤原さんは目標を定められない人に、なんとアドバイスしますか?」とのことですが、まっきゃんりーさんは目標を定めたいんですね。でも私としては、目標はあまり定めないほうがいいんじゃないかと思っています

目の前の軽い目標を定めるのは面白いかもしれませんが、「こういう企業に入って、こういう役職に就きたい」というキャリア的な目標は定めないほうが楽しい生活を送れる気がします。やはりキャリア的な目標を定めることで、生き方が固定されちゃうことが怖いんですよ。

もし、私が「芸人としてテレビに出て、いずれは司会をやるような人気芸人になる」という生き方しか認めていなければ、今みたいな無駄づくりも生まれていません。でも私の場合、目標がないままフラフラしていたので、無駄づくりのような変なものを自発的に生み出しやすかったんじゃないかと思います。

まっきゃんりーさんは「神田橋語録」で号泣したということなので、多分、私と同じで窮屈なのが合わない人だと思うんですよね。今の日本の社会では、就職することが一番安定した道とされているので、私から「就職しないほうがいいですよ」とは言えません。

だけど、就職は結局、憂鬱なもののひとつです。なので、例えば「就職しても窮屈にならない生活」を目標にしてはどうでしょう? 「土日は絶対に自分の好きなことをやる」でもいいと思います。

自分の半径3メートルを大事にして、「合う・合わない」を見極めよう。

「昔は進学校に通っていただけに、今の全部が中途半端な状態と比較してしまい落ち込んでしまいます」とのことですが、「あの頃はよかったな」「今の自分は中途半端だな」と落ち込んでしまう気持ちは、私もわかります。

私の場合は、今から2年前くらいが一番ぶいぶい言わせていました。当時は体調も良く、いろんなことができて楽しかったんですよ。逆に今の私は窮屈さを感じています。「2年前に戻りたいな」と思うし、「もうイヤな経験はしたくない」「自己肯定感や自己愛を傷つけられるような経験はしたくない」っていう気持ちもすごくわかります。

でも、まずはまっきゃんりーさんも、自分の生活をベースにして進路を考えたほうがいい気がします。とりあえず就職先を決めて、もし職場や仕事内容が自分と合わなかったら、何が自分に合わなかったのかを分析し、また自分に合いそうな場所を探していけばいい

もちろん、その過程は失敗ではなく、ひとつの必要な経験でしかありません

これからどんどんいろんな経験を積んでいけば、「こういうところが自分には合うんだな」「ああいうところは合わないんだな」ということが掴めてきます。そこを見極めていって、自分の半径3メートルくらいの範囲に“王国”のようなものを作れればいいのではないでしょうか

私はバイトや仕事しながら、「こういう仕事は合わないな」「こういう仕事は好きだな」という傾向が、30歳手前くらいになってようやくわかってきました。まっきゃんりーさんはまだ24歳ですよね。これからいろんな経験をすることで、ちゃんと自分の王国が作れるんじゃないかと思います。

相談②「軌道を外れて違う世界に飛び込む勇気が持てません」

ぽえぽえ美さん(17歳、女性)
私は双極性障害と診断されている高校2年生です。中学受験をし、いい大学へという競争思考が強い学校の中で必死に勉強していたら体調を崩してしまいました。今、大学選びという課題に迫られていて、偏差値の高い大学を目指すよりも自分のしたいこと(芸術を学ぶこと)ができる大学に行く選択肢もありなのではないかと考え始めています。でも長らく勉強重視の生活を続けていたせいか、これまでの軌道を外れてなんの特技もないのに違う世界に飛び込む勇気が持てません。不安でどうすればいいか分からなくなってしまったので藤原さんに助言をいただきたいです。

「有用性という言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ」

偏差値の高い大学を目指すのか、それとも芸術を学ぶのか……という選択で迷っているとのことですが、ものづくりをしている身からすれば、ぜひ芸術を学んでみてほしいな、という思いはあります

人生は自分の選択肢を増やす旅のようなものです。これまでずっとやってきたことをやり続けるのもありですが、ぽえぽえ美さんも私と同じで躁うつっぽいところがあるとのことなので、あれこれやってみたほうが性に合っていると思うんですよ。

特に、勉強を頑張りすぎて体調を崩されたということなので、一旦いわゆる学校の勉強から離れて芸術を学んだり、何か別のことをやるのもありなんじゃないでしょうか。

それに、偏差値の高い大学に行っても、卒業から10年もすれば自分の大学の偏差値なんて忘れちゃうものです。

ぽえぽえ美さんはもう勉強はできるんだから、次は芸術をできるようになろう、小説を書いてみよう、パン作りを頑張ってみよう……と、自分の興味のあることに取り組んでみてはどうでしょう。世間には飽き性と思われるかもしれません。でも、自分の好奇心のままにやることが私は好きだし、ぽえぽえ美さんの性にも合っている気がします

プリンストン高等研究所の初代所長、エイブラハム・フレクスナーさんも、「有用性という言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ」と言っていました。つまり、役立ちそうだと思うものより、自分の好奇心のままにやったほうが結果的に価値が生まれると言うんです。

彼のような頭のいい人でさえそう言っているんだから、正しいんだと思います(笑) 実際、好奇心のままに動いていれば、少なくとも「楽しい」という価値は絶対に生まれますからね。

自分のホームは守りつつ、好奇心も満たせる方法を探そう。

「軌道を外れてなんの特技もないのに違う世界に飛び込む勇気が持てません」とのことですが、全然違う場所に行くことって、確かにめちゃくちゃ怖いですよね。移住と同じ。例えば東京から、急に全然馴染みのない県に行くことになったら「大丈夫か……?」と不安になりますよね。であれば、2拠点生活みたいなものを心がけたほうがいいと思います。

私は吉本興業を辞めて無駄づくりを始めるときに、母から「ホームは作っておいたほうがいいよ」と言われました。自分のホームがないと、宙ぶらりんになって苦しむことになる可能性があります。私にとって、それまで吉本興業がホームだったし、起業してからは会社がホームになっています

ぽえぽえ美さんにおけるホームが何かはわかりませんが、もし芸術を学ぶことに不安があるなら、いきなり芸術に振り切るのではなく、とりあえず大学に行ってみて、そこで芸術の授業を取るという選択肢もあると思います。

自分のホームは守りつつ、自分の好奇心も満たせる方法を探すと、不安もある程度なくなってくるのではないでしょうか。めっちゃまともなことを言うようで恐縮ですが、ゼロイチじゃなく、まずはじんわりと始めてみるのもありなんじゃないかなって思います。

ぽえぽえ美さんは「特技もないのに」とおっしゃいますが、みんな特技なんてないから大丈夫。一見そうみえるだけで、周りからはぽえぽえ美さんも特技があると思われているはずです。

なので、特技などは気にせず、自分の好きなことをやればいいんじゃないですかね。

目標を持たず、好奇心のままにコロコロと転がることの面白み

私も性に合っていないことに必死に食らいつきすぎて体調を崩したり、憂鬱になったりすることがよくあるので、今は「凪」の状態でいることが一番幸せだなと思っています。

目標を持たず、コロコロと転がっていく中で何かが起きるというのが楽しいんです。そこは風に吹かれても揺れない凪のような場所で、大切に守り続けたいと思っています。

私の場合、実はあまり軌道を外れた経験はありません。基本的にはコロコロと転がっているので、急に何か別のことをやり始めたということはないんです。自分ひとりで楽しんでいることが、後で段々と仕事につながっていく感じで、急に「転職だ!」と行動を起こしたことはありません。

ぽえぽえ美さんもまだお若いので、これからも好奇心があちこち飛ぶと思います。今は芸術を学びたくても、次はどうなるかわかりません。だからこそ、帰るべき場所はあるに越したことはないと思います。

それは決して悪いことではないし、私も同じタイプなので、気持ちはよくわかります。これからもいろんな世界に飛び込みまくる人生だと思うので、面白かったら続ける、つまらなかったらまた違うことやる。それくらいの軽い気持ちで考えればいいんじゃないでしょうか。

私は17歳のとき、イタリアに行こうと考えていました。美術の修復師になりたかったんです。結局、デッサンがあまりにも出来なくて諦め、その後は「面白い人になりたいな」と思って芸人の道を歩んだのですが、もしかしたらイタリアに行っていた可能性もあったんです。イタリアに行っていれば、今のような無駄づくりはしていなかったかもしれません

なので、やはり私としてはあまり社会的な価値などは考えず、好奇心の向くままに生きていったほうが楽しいんじゃないかなっていうのが結論ですね。

この記事が参加している募集

企業のnote

with note pro

このデザインが好き

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!